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小川哲汰朗による写真集
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” 未知のものに魅せられ、生成に対して本質的に敏感な細心な思想だけが詩に接近できる”
ガストン・パシュラール「空間の詩学」
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これは、10年間取り続けた写真より選ばれた40枚の写真の連なりである。
これは詩である。
これは生きられた時間である。
これは生きられた空間である。
そして何より物質で、そして写真だ。
サイズA4/40ページ
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(跋文より)
あの子が書いていたブログが消えたことに気づいたのは、自分がブログを書かなくなってから、少し時間が経ったあとだった。
あの子、と言っているけど、ぼくは彼女と面識もないし、名前も顔も知らない。2011年のある日、自分がたまたまグーグルで検索した言葉の連なりに、たまたま彼女のブログが引っかかり、たまたまそれを見つけただけだった。
そのブログには、援助交際をしていたおじさんを好きになってしまったことととか、高校生にしては少しませている曲を再生しているiPod Classicの写真とか、友達の悪口とか、そういうことが淡々と書かれていた。"誰にも見られていない素振り"なのだろうか」、という妄想も思い浮かばないほどに、ただただ、文章と、iPodの写真が、淡々と上げられていた。
僕が彼女のブログを見なくなったのは、決意の元ではない。なんてことはない、自分が大学三年でサークルに入り、彼女ができ、ゼミが忙しくなってきて、なんとなく、本当になんとなく見なくなって、ある日「たまたま」ブックマークを開いたら404 not foundと表示されていて、「そっか」と思ったのだけ覚えている。
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僕はこの話を何度も何度も書いている。そして書くたびに、己の無力さの中へと落ちていく感覚を覚える。
淡々とした誰かの時間を、自分が作為をもって書くことで、彼女のブログの淡々さを漂白していくような罪悪感。
その感覚を前提として自分が何かを表現することで、「淡々としているということを表そうとしている感」のようなものを自分は出そうとしているのではないか、という自己嫌悪。
これらが自分の周りにぐるぐると巻きつき、身動きが取れないまま沈んでいく感覚があった。
俺が何かを表現する/しよう、と思うときに必ず、「あのブログに俺はなれない」と思ってしまう。そして、自分の表現を始める。往々にして、そのブログの話をしないままに。
そのブログ、そしてそれを見ていた俺の時間、空間を思い出す瞬間は、己を表そうとするときだけだ。その瞬間には必ず、あのブログを見ていた俺の時間が、半自動的に含有されてしまう。
不思議なことに、彼女のブログのことを日常生活の中では思い出すことはないのだ。
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しかし、胸を張って言えるが、あの時間、あの時間があったあの空間に憧れているときの自分へ向ける感情は、ノスタルジーではない。
おそらく、彼女のブログが生きられていた時間は、空間の中に圧縮されていて、それ自身が流れていくことを拒みんでいる。それが故に、持続したものの琥珀として、俺の中にあるのだ。
俺は、彼女のブログになることは可能だろうか。
可能とも言えるし、不可能とも言える。なぜか。
私たちの生きる世界には、生きられた空間と、時間がある。目の前の、あるいは世界の出来事は、連続していく。出来事は現象する。
それは流れたり淀んだり、引き伸ばされたり断絶されたりしながらも、確実に、あるのだ。
誰かの生きた時間と空間の中で、上で、下で、中で、外で、私たちは生き、それと同時に生きられている。現象的に、生はある。
私たちが死という有限性の中で出会うことができる生きられたものたちは限られている。
だからこそ、琥珀になる「かもしれない」未来の前借りをせずに、私達は今を生き/生きられねばならないのではないだろうか。
私たちの生は、見知らぬ誰かの琥珀になる「かもしれない」。しかし、琥珀になることを目指して生きることは、生きられたものではないと確信しようとして、俺は生きているつもりだ。
その夢想とも妄念のような、自分の中で濁濁と煮えたぎるなにか、つまり”確信(核心)に近づこうとする行為"が、己がなにかを表現する、あるいは、俺が生きる/生きられることへの僅かながらの足がかりになることを、今は願ってやまない。誰の中にも、きっと、琥珀はあるのだ。
小川哲汰朗
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